英語話者の多くも「クリック音」は出せる──いらいらした親の唇打ち、舌打ちによる否定。だがそれらはパラ言語的な音であり、音素ではない。これに対し南部アフリカの複数の言語族では、吸着音は正真正銘の子音である。英語の p や t と同じ資格で普通の単語の中に組み込まれている。
従来「クリック言語」と総称されてきたのは、互いに系統関係のない3つの語族である。
- コエ語族──ナミビアのコエコエゴワブ語(ナマ=ダマラ語)、ボツワナのナロ語・グイ語(Gǀui)、カラハリ縁辺のいくつかの言語。
- トゥー語族──子音の数で世界記録を持つタア語(!Xóõ)や、瀕死状態の南アフリカのンウー語(N|uu)など。
- クサ語族──ジュホアン語、ホアン語など。豊富な吸着音体系を持つ。
これに東アフリカの2つの孤立言語──タンザニアのエヤシ湖周辺で約千人の狩猟採集民に話されるハッザ語、その南方約150キロ、ドドマ州の岩がちな高地のサンダウェ語──を加える。両者とも吸着音を持つが、立場は異なる。ハッザ語には系統関係の立証された親戚がどこにもない。一方サンダウェ語はコエ語族の遠縁である可能性があり、トム・ギュルデマンとエドワード・エルダーキンは語彙と代名詞体系の証拠からこれを有望な仮説だと論じている(ただし証明には至っていない)。古い総称「コイサン語族」は5系統をひとくくりにしていたが、ギュルデマンらの研究により、近年は「地域的グループ化であって系統的な語族ではない」と結論されている。
音声学的には5系統の主要吸着音が区別される。
- 両唇吸着音 ʘ──キスのような破裂音。タア語など少数言語のみ。
- 歯音 |──英語話者が「ちっ」と舌打ちする音。
- 歯茎 !──舌を歯茎から鋭く離す、瓶からコルクを抜くような破裂音。コサ語・ズールー語では q と綴る。
- 硬口蓋 ǂ──口蓋のやや奥で柔らかく弾く音。
- 側面 ||──舌側面を弾く音。英語話者が馬を急かす際に使う音。民族名 Xhosa の xh がこれである。
各吸着音はさらに有声・有気・鼻音化・声門化、口蓋垂・放出と組み合わせて分化する。コエ語族・トゥー語族のいくつかでは、吸着音だけで他言語の全子音体系を上回る。
社会言語学的にもっとも興味深いのは、吸着音が語族を飛び越えた事実だ。バントゥー諸語のズールー語、コサ語、南ソト語、スワティ語も吸着音を音素として持つ。ズールー語とコサ語は3種、南ソト語とスワティ語は1種だけだが、北方の近縁バントゥー諸語にはまったくない。歴史言語学者ら(アンソニー・トレイル、ライナー・フォッセンほか)の説明はこうだ──第二千年紀、バントゥー系農耕民がリンポポ川以南に進出する過程でコエ系・サン系の人々と混血・統合し、混合家庭で育ったバイリンガル世代が、敬語や儀礼語彙を中心に吸着音を持ち込んだのである。民族名 isiXhosa にもそれは残っている──接頭辞のすぐあとの xh が有気の側面吸着音である。
上の「比較」ボタンを押すと、コサ語・ズールー語では、この地図の基本語彙のどれ一つとして吸着音を含んでいないことに気づくはずだ。これがもう一つのポイント。バントゥー語族における吸着音は文化・敬語・儀礼の語彙にほぼ集中している──民族名(iXhosa、uXamu)、動物名(iqaqa「ケナガイタチ」、ixoxo「カエル」)、挨拶、義母などへの婉曲語(hlonipha 回避語法)、コエコエ語からの借用語(iCawa「日曜日」)など。「水・火・太陽・手・目」といったバントゥー祖語から継承された基本語彙には吸着音は出てこない。
この移入の経路は、いまではかなり明確に再構されている。Pakendorf・Gunnink・Sands・Bostoen (2017) は言語学と遺伝学の証拠を突き合わせ、吸着音の取り込みはコイサン系の女性がバントゥー系共同体へ大規模に嫁入りした過程に伴うものであり、一部はコイサン系話者自身の言語交替によるものだと結論づけている。つまり吸着音は、ふつうの借用語のように入ってきたのではない。二つの言語が飛び交う家庭で子どもが育ち、その世代が身につけてしまえば、それはもう外来の音ではなく母語の子音だった、ということである。
南部アフリカ以外で吸着音が確認されるのは、東アフリカのハッザ・サンダウェ、ケニア沿岸のクシ系言語ダハロ語、オーストラリアの儀礼レジスターダミン語などである。ダハロ語では吸着音が残るのは40語ほどで、話者がクシ系言語へ言語交替した際の基層の名残と見る分析がある。南部アフリカでは、吸着音が4つの語族にわたり少なくとも数千年間維持され、言語接触を通じて広がってきた。
吸着音が古代アフリカ人口に由来する古特徴なのか、接触によって増幅された地域革新なのか、両者の合成なのかはまだ議論中である。だが一つ確かなのは、吸着音は正真正銘の音素であり、現地の子どもたちは他のどの子音と同じ容易さで習得するという事実だ。「異国的」に見えるかどうかは、自分がたまたまどこで育ידたかの問題にすぎない。