紀元前3200年頃、メソポタミア南部の都市ウルクで、誰かが葦のスタイラスの先を湿った粘土に押しつけ、大麦の数量を記録した。その粘土板と、それに続く何千枚もの板は、人類の言語が「息」から解放されて物質に刻まれた最初期の瞬間のひとつである──初期王朝期のエジプト、やや遅れてインダスや中国でも、並行して同じことが起きた。記録された言語はシュメール語(eme-gir「土地の言葉」)──5200年後の今も読み続けられている。
シュメール語は孤立言語であり、1世紀以上の研究にもかかわらず親縁関係が証明された言語は一つもない。隣接していたセム系アッカド語ともインド・ヨーロッパ語族ともドラヴィダ語族ともコーカサス諸語とも結びつかない。型としては膠着語かつおおむね能格で、動詞語根の前後に決まったスロットで形態素を積み重ねて意味を作る。たとえば i-mu-na-an-šúm「彼はそれを彼に与えた」は、相+方向+3単与格+3単能格+「与える」と分析される。
文字は会計として始まった。最古層の粘土板(ウルクIV期、紀元前3200年頃)の原楔形文字は、羊・ビール・油を表す絵文字と、現在の「1時間=60分」に残る60進法の数字で書かれた領収書や配給簿である。400年かけて絵文字は90度回転して楔形に様式化され、レブス原理(絵が表す物の音価で他の語を綴る)によって表音的次元を獲得した。音を綴れるようになった文字は、何でも書ける──紀元前2600年頃には、シュメールの書記は文学・法・祈りを記し始めた。
- キシュ板(紀元前3500年頃)とウルク W 9578a 板は、人類最古の文字資料に属する。
- 『シュルッパクの教訓』(紀元前2500年頃)は、現存最古の文学のひとつ。
- 『ウル・ナンム法典』(紀元前2100年頃)は、ハンムラビ法典より300年古い世界最古の法典で、シュメール語で書かれた。
- エンヘドゥアンナ(紀元前2285年頃)はアッカドの王女・月神ナンナの高位巫女で、伝統的に「人類史で名前の残る最古の著者」とされる。ただし彼女の名を冠する女神イナンナへのシュメール語讃歌は没後およそ600年後の写本でしか伝わらず、本人の作かどうかはアッシリア学者の間で今も議論が分かれている。
紀元前2000年頃、ウル第三王朝の崩壊後、シュメール語は母語としては消滅し、北方のセム系アッカド語に取って代わられた。だが書かれることはやめなかった。続く約2000年間、シュメール語は書記学校 edubba で教えられ、宗教・学問・占い・天文の威信言語──楔形文字世界のラテン語──として生き続けた。バビロニア人やアッシリア人の書記は紀元前1世紀までシュメール語文書を書写し、確実な年代を持つ最後のシュメール語板はアレクサンドロス大王より後にまで及ぶ。
楔形文字そのものが紀元1世紀頃に絶えると、シュメール語も人類の記憶から完全に消えた。再発見されたのは19世紀、楔形文字解読者のヘンリー・ロウリンソン、エドワード・ヒンクス、ジュール・オペールが、バイリンガル語彙表の背後にアッカド語ではない、より古い非セム系言語があると気づいた時である。1869年、オペールは王号「シュメールとアッカドの王」に含まれるアッカド語の地名から「Sumerian(シュメール語)」という名を提案した。シュメール人自身は自分たちの土地を ki-en-gi(-r) と呼んでいた。
現代では、ペンシルバニア大学のシュメール語辞典 PSD と、オックスフォードのシュメール文学電子テキスト・コーパス(ETCSL)により、人類最古の詩をスマートフォンで読める。シュメール語版『ギルガメシュと天の牡牛』など、後の『ギルガメシュ叙事詩』の祖型は、人類が書き残した最古級の物語のひとつであり、いまも翻訳が続いている。