インド本土から東に約1,200km、ベンガル湾の中に、面積60平方キロほどの森林に覆われた小島がある。北センチネル島と呼ばれるその島に、おそらく数十人から数百人──正確な数は誰も知らない──の人々が住んでいる。彼らは外部とのあらゆる接触を拒絶してきた。彼らこそセンチネル族であり、その言語は、一度も録音されず、一度も書き取られず、系統さえ確定していない──地球上にごくわずかしか存在しないそうした人類言語の一つであり、その中で群を抜いて知られた存在である。
センチネル族はアンダマン諸族の一支族であり、「出アフリカ」の初期の波の一つに連なる人々が数万年前にアンダマン諸島へ到達したものと考えられている。遺伝学的にも、地球上でもっとも長く孤立してきた集団の一つに数えられる。ただし、その孤立がいつから始まり、どれほど途切れなく続いたのかを確定的に述べることはできない。同じ諸島の隣人──大アンダマン人、リトル・アンダマンのオンゲ族、南/中アンダマンのジャラワ族──が話す言語は、互いに無関係な大アンダマン語族とオンガン語族(オンゲ語+ジャラワ語)の二つに分類される。センチネル語はその第三の姉妹、おそらくオンガン語に最も近い、と推測されているが、語彙を確認するに足る言語データが存在しない以上、誰にも証明できない。
記録に残る接触の試みは、いずれも失敗するか流血で終わった:
- 1880年: イギリス植民地官 モーリス・V・ポートマンが探検隊で上陸、高齢の夫婦と子供4人を拘束し、ポート・ブレアに連行した。夫婦は免疫のない感染症で数日のうちに死亡、子供たちは贈り物と共に島に返された。ポートマンが記した語彙断片だけが、外部に残る唯一の「センチネル語の痕跡」とされる。
- 1974年: ナショナル・ジオグラフィックの撮影隊が矢で撃退され、ディレクターは大腿に2.4mの矢を受けた。
- 1991年: インド政府の13人の調査団がボートからココナッツを差し出し、史上唯一の平和的接触に成功。センチネル族が武器を持たずボートまで歩いて来てココナッツを受け取った。団の人類学者マドゥマラ・チャットパディヤイは自ら海に入ってココナッツを手渡し、外部世界の女性として初めて彼らと対面した。だが感染症リスクから1996年に中止された。
- 2004年のスマトラ沖津波: 沿岸警備隊のヘリが生存確認に飛んだが、矢で迎え撃たれた。住民は高地に避難し無事だった。
- 2006年: 漂着した漁師2人が殺害された。
- 2018年: アメリカ人宣教師ジョン・アレン・チャウが、地元漁師を違法に買収して上陸を試み、殺害された。
インド政府のアンダマン・ニコバル諸島原住民保護規則(1956年制定、その後数次改正)により、北センチネル島の5海里以内への接近は違法とされる。インド海軍が緩衝水域を巡視し、1990年代後半以降、チャウ事件後さらに強化された方針は「見るが触れず」──遠くから人口を観察するのみで、接触も干渉もしない、というものだ。
「島の部族は、外部の者に守ってもらう必要などない。彼らに必要なのは、そっとしておかれることだ」── マドゥマラ・チャットパディヤイ(ナショナル・ジオグラフィックのインタビューにて)
センチネル語の類型について推測できるのは、姉妹言語の類推からだけだ。オンガン語は音素目録が小さく、身体部位や親族名詞に所有接頭辞をつけ、「頭の」「背の」など身体部位に基づく指示体系を持つ。センチネル語も同様の構造を持つ可能性は高いが、検証する手段がない。Ethnologue、ISO 639-3、Glottolog はセンチネル語を「std/sent1241」として登録しているが、実データの欄はすべて「情報なし/不明」である。
インド政府は接触を禁じ、感染症や外部からの暴力から共同体を守る方針を採っている。そのため、センチネル語には公開された実用的な録音・転写資料がなく、近隣のアンダマン諸語との関係も確認されていない。資料の欠如は研究上の空白であると同時に、接触を試みないという保護方針の結果でもある。