英語話者に「先(ahead)」とは何かと聞けば、来週の会議、迫る締切、楽しみな未来──と答えるだろう。未来は前、過去は後ろ。印欧諸語のほぼすべてが時間をこの向きで切り取っており、認知科学者たちは長らく「これは人類の思考に普遍の比喩だ」と考えていた。
その前提に正面から穴を開けたのが、2006年にラファエル・ヌニェスとイヴ・スウィーツァーが発表したアンデスでの現地調査である。対象はアイマラ語──ボリビア・ペルー・チリ北部の高地で約200〜300万人が話す言語だ。
アイマラ語で「前」を表す基本語は nayra。これは同時に「目」「視覚」を意味する。「後ろ」は qhipa、これは「背中」でもある。この空間語彙が時間に拡張されたとき、次のような対応関係が生まれる。
- nayra mara(直訳「目/前の年」)=去年
- nayra pacha(「目/前の時」)=過去・古代
- qhipüru(「背中の日」)=明日・将来の日
- qhipa mara(「背中の年」)=来年
話者が繰り返し説明する論理は美しい:過去は自分の目で見たもの──だから目の前にある。未来はまだ見えない・分からない──だから自分の背中側にあるしかない。
ヌニェスらは語義だけに頼らず、高齢のアイマラ語話者がインタビューで身振りを伴いながら時間について語る場面をビデオで分析した。結果は明快だ。過去の出来事を語るとき、話者は体の前方、視野の中を指差す──ときに大きく払うように、ときに具体的な位置を示すように。未来の出来事を語るときは、肩越しに親指を後ろへ放り投げるように指す。遠い過去ほど前方深く、遠い未来ほど後方遠く。
興味深いことに、若いアイマラ=スペイン語バイリンガル世代は、スペイン語式(未来が前)に近い身振りを混ぜるようになっている。アンデス・アマゾン地域でかつて共有されていた「過去=前」比喩は、印欧諸語との接触で少しずつ書き換えられている最中なのかもしれない。
この発見は、ジョージ・レイコフの概念メタファー研究やレラ・ボロディツキーの時間言語実験とあわせて論じられてきた。抽象概念を空間で表す方法がすべての言語で同じではなく、言語的・文化的な慣習によって異なることを示す資料である。
アイマラ語にはほかにも興味深い特徴が多い──1980年代にイバン・グスマン・デ・ロハスらが提唱した「アイマラ文法には三値論理が反映されている」とする説(現在も言語学者の間で議論が続く論争的な主張)、トゥユカ語に似た義務的な証拠性、活発な先住民出版文化。だが、「目の前に過去がある」というこの一点は、今も認知科学への最大の贈り物として語り継がれている。